高田山 専修寺 ③ 三谷(みや)御草庵 [仏閣]
三谷御草庵は、専修寺本寺から東へ3キロ,子貝川を渡って,
八溝山系が南北に起伏する一隅に、山を背にして昔そのままにあります。
後方の小高いところに「開山上人御草庵跡」の古碑があるそうです。
その近くに聖人御飲用の清水があり、
そこにも「開山聖人御自用井水」の碑が立っているそうです。
私は時間の関係で、後者2件は行っておりません。
高田山 専修寺 ② 庫裏 [仏閣]
庫裏は、大きなかやぶき屋根の曲がり屋で、両側に玄関が突き出し、東側は2階になってるようです。建築年代は不明のようですが、小屋組には釘を使わず、麻縄などで材木を結わえ付けるという古式の建築様式だそうです。
高田山 専修寺 ① [仏閣]
北潟の浦には4つの真宗高田派のお寺さんがあるそうです。その本寺が、下野の国二宮町高田の高田山専修寺と伺っております。宍戸の庄から約40数キロのところです。でもあまり常陸の国には末寺はないようです。
親鸞聖人が、常陸の国の稲田に草庵を結び、この地に7年間居住され、専修念仏の根本道場となされた聖地なのだそうです。
7百数十年を経た現在、約2万坪の境内には、文字通り鬱蒼(うっそう)と老樹が生い茂り、七堂伽藍が立ち並んだ旧跡となっております。
初めて行った私は、この田舎にと、圧倒されそうになりました。
御影堂の前には、向かって左に菩提樹 右にむくろじの木が植えてございます。
どちらも聖木のようです。
私は、記念にむくろじの種を拾ってきて、蒔いて育てております。
北潟の浦の昔若奥様方に送っていただいた、勝願寺様のラカンマキの実生も育てております。
また専修寺について述べようと思います。
それではこの辺で。
吉崎御坊跡(御山)と蓮如忌 浄乗寺関連 [仏閣]
黒松に覆われた吉崎御坊跡の御山には、御腰掛石、御本堂跡や高村光雲作の蓮如上人像、加賀千代女の歌碑といったものがあります。文明3年(1471年)、浄土真宗中興の祖といわれる蓮如上人が57歳の時、越前に下り浄土真宗の教義を広めた地です。 国指定史跡
*この地には奇特なお方がおられて、毎朝、ブロアーと言う送風機で、お山のコケ類をいためないように、お掃除をしておられる方がおられました。
*吉崎には、約135軒の方がお住まいになられており、其の方々で、7軒のお寺さんを護持されているやと聞き及んだ事がございます。
*高村光雲作の蓮如上人像の高いのには圧倒されそうでした。
蓮如忌は、毎年4月23日から5月2日にかけ、京都東本願寺から蓮如上人の画像「御影」を迎えて、北潟湖畔もとおり、盛大な法要がいまでも営まれているようです。
*この地方では、宍戸の庄では考えられないほど、信仰心に厚いのに驚かされます。
注・あわら市ホームページより一部、転載させていただきました。
吉崎御坊跡(御山)と蓮如忌 補遺 [仏閣]
「近年、高村光雲作の蓮如像の周囲の松が病気により枯れてしまわれ、黒松に覆われたとい
う表現は訂正なさった方がよろしいかと存じます。」というありがたいご指摘を受けました。
写真を入れ替えさせていただきます。
余談となりますが、
”京都東本願寺から蓮如上人の画像「御影」を迎えて、
以前、東本願寺のお家騒動により、それまでの「御影」は大谷家の所有となりまし
た。現在の御影道中は、門徒たちが行っており、御影も別のものを用いています。
なお、大谷家も別途、蓮如の下向を行っていますが、市内の別の寺院へのご到着と
なっております。”という地元の方からの貴重な談話が入ってきております。
これが、ごんごろ村に住まいしてても、PCのお陰で、世の中に後れないという物かもしれません。
ブログ上から御礼申し上げます。ありがとうございました。 緑水子
注・あわら市ホームページより一部転載