北潟の浦のかわうそ物語 [北潟の庄]
この波静かな北潟の浦に、かわうそ伝説が、
子供達への寝物語として伝えられておるそうです。
小さな子達は”それから”、”そしてと”と母親に話の続きをせがむそうです。
母親も、はっきり覚えているわけでもなく、
返答に苦しみながら、話してゆくようです。
北潟の浦の風俗考証をお願いしているお方からのお話を、
かいつまんで書き記しておこうと思います。
かわうそのお話 北潟の浦の物語り
老女のお話。
「夜遅く、戸を叩く音がするので、うらが起きて、”だれやろか、こんなおそくに”とその戸を叩く者に声を掛けると、”うらおなや、うらや”と答えるそうです。おなやって誰やろかと思い戸を開けるとそこには誰もおらんかったんや。ただそこが水でぬれておったんや。」
お話はそれだけだそうですが、それからが大変なそうです。
それからどうして?本当にかわうそだったの?本当に見たの?と質問が殺到するみたいでした。
「うらも、おババからきいたんやって、よお知らん」という結論で終わってしまうみたいです。
”おな”という意味が分からず、「おなってなんやろか」と思いながら聞いていたそうです。
いま思えば”おうな”の事だったのだなと分かったといっております。
北潟の浦のかわうそにまつわる物語でした。
もし詳しくおわかりの方がおいででしたら、お教え願いたいと思います。
言い伝えという物はこれくらいのぼんやりしたところでいいのかも知れませんね。
このお話は、おババのキクよりキヨへそして今ではごんごろおババ様が、孫太郎に同じような曖昧さで語っております。
二人の子供達も同じように語って聞かせてもらっておりました。
私の知る範囲でも、5代にわたって語り継がれているのが分かります。
このように語り継がれてゆくのが、昔話という物だと思います。
秋の風物 薫炭作り!
稲作農家では、稲の刈り入れが済むと、
もみがら(別名 あらぬか)を使って、
薫炭つくりをします。
私も、畑で少々します。
これを畑にまくと、甘い野菜が良く出来ます。
説明より、画をご覧になられればよいと思います。
農村出身のお方でしたら、説明は不要かとおもいます。
1,000キロ離れた赤子の里帰り! [宍戸の庄]
いたづらを散々して、はとが止まり、顔をこすって、おどめをオブって、コウトねんね。
これが赤子の定番ですね。
後記:①はとが止まる・・・・・眠気を催し始めること。(幼児語)
②おどめ・・・・・あかちゃん
③おぶう・・・・・赤子をおんぶすること
岩間のマロンパイが発売に! [宍戸の庄]
岩間の栗
岩間の栗をふんだんに使った、岩間のマロンパイが、
新装開店の水戸京成内のテナント”コート・ダジュールクリュ水戸で、
好評発売中です。
岩間の方も、岩間以外の方も、
岩間の栗を味わういい機会と思います。
水戸京成にお立ち寄りの祭には、
地下一階の”コート・ダジュールクリュ水戸”でお求めを!
まさ兄ィに似た店長が応対してくれると思います。
店長の奥方の作られたパンフレットです。伝え聞くところによりますと、つくば店は超一流との折り紙付だそうです。
TEL/FAX 029-350-4087までご一報ください。
(注)宣伝料は、一切いただいておりません。岩間の栗ですので載せました。
宍戸の庄の武田社中 [宍戸の庄]
宍戸の庄の武田社中(生田流筝曲)
愛宕山の桜祭り 敬老の日の演奏 金屏風にお前での、
おめでたい日の筝曲の演奏とおいそがしの日々のようです。
漆工画家 青士! [総合]
漆工画家 青士!備前岡山の産。曽祖父は、シーボルトの直弟子の石井綜謙氏。
宍戸の庄に戦後来られてこの地で生を全うされたお方です。東京美術学校教授の石井士口氏のご子息。青士氏も東京美術学校に学び、漆工画家となる。
おいおい述べてゆきたいと思います。
後記:この漆絵は、形見としてお亡くなりになられてから奥様より頂いた記念のお品でございます。
この地にはたくさんの青士氏の絵が残っていると思いますので発掘できたらと思います。
水府流水術の女丈夫! [宍戸の庄]
元名主家の老女として、ご活躍の旧姓須貝 かね子様と免状
かね女様コメント:ひと夏の稽古料90銭は当時の稽古料としてはお高こうございました。
稽古の終わった後は、愛宕山古墳の下の晒らし井で涼みながら、
おむすびを稽古仲間と食べるのが、
日課となっており、それが又楽しかったですわ。
筆者コメント: 83歳ですが,矍鑠(かくしゃく)としておられます。
お若い時分に鍛えられたからでしょうか!
水戸水府流水術 川越候事の免状を有する80才代の女丈夫でございます。今でも水戸には伝統の水術が残っておるようです。
白しきぶの色つきはじめ [総合]
色の着き始めた白しきぶ
まだちょっと早いか、小むらさきしきぶ
”はさがけ”は、宍戸の庄では”おだがけ”です。 [宍戸の庄]
おだ干しの近景
おだ干しの中景
おだ干しの全景
この近くに、北潟の庄に同じおだがけ(はさがけ)をしている田を見つけた事がございます。
不思議に思い、訊ねてみると、先祖の方が、明治のころ、越前の鯖江から、
漆かきに来ててこちらに住みつかれたお宅という事が分かりました。
習慣とは、すごいと思いました。100年たっても故郷の習慣を堅持されておられるとは。
もう少しで、”はさがけ”も見られると思いますので、
そのときは又書き込みをしたいと思います。