北潟の浦にはしっかり次世代がカラフル腹巻で [祭礼]
北潟の浦では、この若若連中が現在の神輿かきの主役だろうか。今年の神輿かきの中におられるやろか(おられるのでしょうか)? ちなみに天狗のお面を担がれるお方が、最も力持ちのつわものとか。今は如何しなさってられるやろか。
*'84-07 Taken by Kitagatahime
北潟の浦の夏祭り衣装と流鏑馬装束 [祭礼]
どうであれ、それぞれの個性を発揮した装束こそが祭りの本領か。神事流鏑馬の装束はもっともっと個性あふるる晴れの装束である。北潟の衆よがんばれ!
北潟の浦の夏祭り今昔 [祭礼]
北潟の浦の夏祭り今昔
20数年経つと祭りのスタイルまで変わるのですね~。
神輿をかく棒も、ヒノキの丸太から、角材に、北潟若連中の祭りの姿も、ステテコ、丸首シャツ、色とりどりの腹巻(これは流鏑馬の装束の心にも通じます。)、力を矯めるためのベルト、白足袋と。
お見事。天晴れ若武者振りよ。
今風では、柿の帷子に縄の帯とはいかないみたいですね。整っておりますね。北潟の若連中も若返ったみたいですね。
記:横で北潟の浦出身の方に、北潟風俗考証をして頂いております。
北潟の浦のホームページはここをクリック
北潟の浦の祭り 補遺 [祭礼]
私自身は北潟の浦の夏祭りには行った事がございません。
八雲神社にはただの一度だけお参りさせていただいた事がございます。
立派な拝殿 本殿で驚いた次第です。
神社の横を流れるきれいな水で目を洗うと、たちまちに直るとか昔の年寄りにきいたとか。
(やはり八雲神社には、薬師如来坐像がお祭りされていたのですね。あわら市ホームペジより)
安楽寺の盆踊りには何度か足を運ばせていただきました。
鎌倉時代作の仁王像、虫食いだらけでした。
近年になって行ったときには、プラスチックぽかったのが記憶にございます。
私どもの近くの新善光寺の仁王像も同じ運命をたどったようです。
又、Mr.E M氏の九頭竜太鼓の勇壮さには驚嘆させられました。
氏は親譲りの九頭竜太鼓の名手とか!
後記:1;北潟の浦の祭りには、赤き旗 幟(のぼり)を用いるのは、やはり平家との
かかわりがある の だろうか。
確か、越前の国の国守は平知盛だったような記憶がございます。 いずれにしても立派なお祭りと思います。
2;ひねた道 旧道 ひねたふるしい家 古い家の意 宍戸の庄では使いません。
3:今年の祭りの写真につきましては、 あわら市ホームページ管理者並びに北潟のお方にお世話になりました。
4:この項を書き込むについては、北潟の浦生まれの方の監修を受けております。
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北潟の浦の祭り [祭礼]
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北潟の浦は、源平のその昔、平の知盛の知行国でもあったためか、
北潟の浦にも、平家の公達や天皇様にまつわるお話が、伝わっております。
北潟の浦の祭りは、源氏の白旗に対して、赤き旗、赤き幟(のぼり)を用いております。
また天皇様の屋敷を意味すると思われますテンナシキなるところも現存しております。
お隣さんには、百蓮寺と言う古刹がございます。
天王と言う地名もございます。
おいおいと述べてゆこうと思います。
今回は、手始めに、北潟の浦の祭りを写真で追ってみたいと思います。
これからをお楽しみに! ごんごろババ様記&撮影